2015.04.20 Mon
Written by EDGE編集部
▶海外
バルドラール浦安ジャカルタ遠征レポート①「たった7カ月の準備期間」

写真:バルドラール浦安/アジアサッカー研究所
4月9日〜13日、バルドラール浦安がインドネシア遠征を実施した。現地では国際文化交流プログラム、インドネシア代表との国際親善試合などを精力的にこなした。Fクラブが海外交流する意義とは? アウェイの雰囲気はどうだったのか? 今回、臨時スタッフとして遠征をサポートした長谷川雅治氏に現地での様子をレポートしていただいた。
(文・長谷川雅治/アジアサッカー研究所 Project Director)
ジャカルタ遠征が実現するまで
2014年9月に、東南アジア地域で国際文化交流を行うNPO法人クロスワイズから、国際親善試合を含むインドネシアにおける交流ツアーの共同実施に関する提案がバルドラール浦安になされた。
バルドラール浦安は、前身チームであるプレデター時代にもスペイン、タイなどへの遠征を行っており、そこから相根澄、岩本昌樹、藤井健太ら日本代表として活躍する数々の選手を生み出していったという歴史があった。
Fリーグが2007年に開幕してからはその機会を失っていたが、クラブの理念として「日本からアジア、そして世界へ」を謳っており、この提案に対する決断は早かった。
バルドラールはFリーグ松崎COO(日本サッカー協会常務理事)を窓口として、翌10月にはジャカルタに飛び、インドネシアサッカー協会(以下PSSI)と、インドネシア代表との国際親善試合開催についての折衝に臨む。
PSSIにはこの時、サッカーやフットサルのインドネシア国内リーグを統一したばかりで、これらを盛り上げたいという強い願いがあった。ここにバルドラール浦安とインドネシアサッカー協会(PSSI)の思いが一致した。Fリーグのシーズンオフと、インドネシア代表の編成期間も一致した。ここまで、わずか1ヶ月。変化の激しいアジアでは、クオリティよりもスピードや対応力が優先される。
10月の時点で開催の約束は取り付けたものの、そこからが長かった。多くの調整を経て、両協会とアジアサッカー連盟(AFC)、国際サッカー連盟(FIFA)の事務手続きが終わり、会場とキックオフ時間が正式に決まったのは翌2015年の3月末。日本国内で発表するには慎重にならざるを得ず、二度三度の確認を取ったうえで、遠征直前の4月6日に発表した。
内容は、北ジャカルタにある4000人収容のアリーナ(日本でいえば駒沢体育館あたり)、2試合とも民放テレビ局(日本でいえばフジテレビあたり)での地上波全国生中継付き、入場無料、という破格の条件。PSSIは本気で応えてくれた。それでもチームがジャカルタに到着する前日に、キックオフ時間が16時から15時に変更になったりもした。
国際親善試合のスケジュールに沿って、NPO法人クロスワイズとの共同で実施する国際文化交流プログラムの内容調整を行い、大方の準備が整った。(続く)
バルドラール浦安ジャカルタ遠征バックナンバー
第1回「たった7カ月の準備期間」
第2回「インドネシアのフットサル熱は?」
第3回「日本文化を伝える先生役として」
第4回「なぜ浦安はインドネシア代表に大敗したのか?」
第5回「日本人の“プライド”を見せた浦安」