2019.03.22 Fri

Written by EDGE編集部

Fリーグ

【伝説の証言者】あとがきにかえて。「10年前と10年後の彼らが、“今”を生きる僕たちに教えてくれたもの」

写真:軍記ひろし

【伝説の証言者】FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか? 7人が明かす「史上最高の下克上」の真実 Afterword

 

FUGA MEGUROは10年前、「PUMA CUP 2009 第14回全日本フットサル選手権大会」を制して日本一に輝いた。決勝トーナメントでFリーグの上位3クラブを破ったその戦いぶりはまさに伝説的であり、会場で目撃した人や、映像やニュースで知った多くの人の心を動かした。10年後、「FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか」を紐解くために、今もFリーグで戦う当事者7人に話を聞いた。筆者自身、メディアの一人として心を動かされたその出来事を回顧する中で、一つの思いが込み上げてきた。シリーズ連載企画のあとがきにかえて、あの時代のフウガが示した、真の価値に触れてみようと思う。

(文 本田好伸)

あの時代を、全力で生きていた人たち

 2019年3月21日、イチローが引退した。個人的に、ずっと野球をしてきたからとかではなく、一人の人間として、言葉では表現できないくらいの敬意を表したい。1時間20分の記者会見。現場にいたわけではないが、彼の口から紡がれる数々の言葉は、明らかに重かった。他の誰でもなく、イチローが語ったから重いのだと思う。それは当然のことだ。

 彼が過ごした28年のプロキャリアの中で積み重ねたもの、残してきたものは、いったいどれだけの人の心を動かし、影響を与えてきたのだろうか。偉大な人物の軌跡には、とてつもないほどに濃密なエネルギーが詰まっている。

 比較するような話ではないが、10年前、FUGA MEGUROが日本一にたどり着くまでの軌跡は、たしかに多くの人の心動かし、影響を与えるエネルギーがあった。もしかしたらそれは、当事者以上に、見ている人の方がずっと感動して、興奮して、心が震えたのではないだろうか。

 イチローは会見の中で、ファンへの思いについてこう話していた。

「(日本にいた頃は)自分のためにプレーすることが、チームのためになると思っていました。でも、人のためにプレーすることが一番の喜びになっていった。ファンの存在なくして、自分のエネルギーは全くないといってもいいと思います」

 当時のフウガの選手は、おそらくそのほとんどが、自分のためにプレーしていたと思う。もしくは、仲間のため、身近な友人や家族のため。いずれにしても、その目で見える、手の届く範囲の人に限ったものだったのではないかと思う。須賀雄大監督も、「スタンドにいたのは、ほぼ知っている人だった。これだけ感動的なものを身内としか分かち合えないのはもったいないなと思った」と話し、そのことが、FUGA TOKYO、フウガドールすみだと移り変わりながら東京都墨田区をホームタウンにする大きなきっかけになったのだ。

 今回、7人の当事者に話を聞きながら、あの時のフウガはやはりすごかったと痛感した。

 正直なところ、キャプテンの佐藤亮やエースの太見寿人、ムードメーカーの関健太朗、クラブスタッフ、それに対戦相手の名古屋オーシャンズでキャプテンだった北原亘など、より多くの証言を得たい気持ちはあった。しかし、あえて「今もFリーグで戦っている人」に限定して話を聞いたことで見えたこともある。

 それは、10年前のあの出来事が、10年後の日本フットサルに確実に影響しているということ。フウガの優勝がなければ、日本フットサルはまた別の形になっていたと明確に感じることができた。Fリーグに身を投じる当事者の言葉によって、この10年のつながりを意識できたのだ。再びイチローの言葉を借りる。

「少しずつの積み重ねでしか自分を超えていけないと思う。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではなく後退もしながら。ある時は後退しかしない時期もある。自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それが正解とは限らない。そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えない気がする」

 フウガが成し遂げたことはやはり、奇跡ではなかったと思う。彼らは地道に進んできた。やると決めたことを信じてやった。正解は、自分たちの手で探してきた。その結果、たどり着いたのがあそこだった。

 しかも、それすらもゴールではなかった。チームを紐解けば、金川武司がそうだったように、個人として終着点と捉える思いもあったが、チームとしてのあそこは、一つの通過点に過ぎなかったのだ。だから今、フウガはフウガドールすみだとして、あの時の自分たちを超えるために、進み続けている。

 星翔太は、フウガを離れてから「孤独」を感じていたのだと言った。でも彼は、自分なりの方法でそれに立ち向かい、活力を生み出していった。

 イチローは会見の最後にこんな話をしていた。

「孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。でもその体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことですが、エネルギーのある時にそれに立ち向かっていくことは、人としてすごく重要なことではないかと感じています」

 10年という月日。長いと感じることもあれば、短いと感じることもある。あの頃の自分は、フットサルの取材を始めてからまだ半年。フウガの優勝の意味に思いを巡らせることはできなかった。ただ純粋に興奮しているだけだった。でも、あの時、あの場所にたしかに存在していたからこそ、今の自分がいる。

 今回、10年前の当事者の言葉を借りながら「フウガはなぜ日本一になれたのか」をまとめてみて、いやいや、「日本一になったから日本一だったんだ」ということを思い知った。「イチローはなぜスターになれたのか」とか、「イチローはなぜイチローなのか」ではなく、「イチローだったから、イチローだった」ということだろう。日々、自分ができること、やりたいこと、やれることを突き詰めながら積み重ねていった先にある姿の一つでしかない。

「記録に立ち向かってやってきましたが、そういうものは大したことではない。去年の5月にゲームに出られない状況になってからもチームで練習を続けてきて、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はこなかった。記録はいずれ誰かが抜いていくと思いますが、去年の5月から今日までは、ひょっとしたら誰にもできないと、ささやかな誇りはあります。どの記録よりもほんの少し、自分の中で誇りを持てました」

 最後までイチローの会見を引用してしまい恐縮だが、フウガとイチローには共通するものがあった。須賀監督は、優勝したあの時の感情を「思ったよりも普通だった」と振り返った。もちろん、爆発的な喜びや達成感はあってしかるべきだが、日々の積み重ねや意志を持って進んでいく過程からすれば、一つの結果は、あくまでも結果でしかなく、もしかしたら「大したことではない」のかもしれない。

「伝説の証言者」という企画は、フウガという奇跡のチームを題材にしたヒューマンストーリー。あの時代を知っている人も、知らない人も、フットサルのことを知らない人にも読んでもらいたい物語だ。そこには、紛れもない真実がある。

 あの時代のフウガに生きた人たちは、伝説でもなんでもなく「今」を真剣に生きる人たちだったのだ。今、この瞬間を全力で楽しみながら生きていくために。10年前と10年後の彼らは、僕たちに何よりも大切なことを教えてくれた。

2019年3月22日 文・本田好伸

Interview & Directed, Key Visual by Yoshinobu HONDA

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【Contents】【伝説の証言者】FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか? 7人が明かす「史上最高の下克上」の真実に迫る

Witness 1 フウガ・イズムの生みの親と伝道師。「奇跡のチームはこうして生まれた」(須賀雄大監督&金川武司)
Witness 2 決勝の出場時間はゼロ秒。「あの試合がなければFリーグを目指していなかったかもしれない」(深津孝祐)
Witness 3 スタンドで涙を流した男。「出られない悔しさがなかったのはあれが最初で最後だった」(渡邉知晃)
Witness 4 勝ち越し弾、決勝弾を奪った男。「ヒューマンパワーにあふれたフウガが果たした役割」(荒牧太郎)
Witness 5 狂犬と呼ばれいたあの頃。「頭の中の理性と野生が共存していた」(星翔太)
Witness 6 奇跡のチームのその後のストーリー。「ただの通過点」(須賀雄大監督)と「達成感」(金川武司)
Witness 7 10年後の名古屋のキャプテン。「あの大会から、自分を含めた物語が始まった」(星龍太)
Afterword あとがきにかえて。「10年前と10年後の彼らが、“今”を生きる僕たちに教えてくれたもの」

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