2019.03.17 Sun

Written by EDGE編集部

Fリーグ

【伝説の証言者】スタンドで涙を流した男。「出られない悔しさがなかったのはあれが最初で最後だった」(渡邉知晃)

写真:本田好伸

【伝説の証言者】FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか? 7人が明かす「史上最高の下克上」の真実 Witness 3

 

渡邉知晃は、日本フットサルを代表するスコアラーの一人だ。Fリーグで45得点を挙げて歴代2位の記録をマークした2017シーズンはもちろんのこと、ステラミーゴいわて花巻、名古屋オーシャンズ、立川・府中アスレティックFC、それに国外クラブでも、常に得点という結果でその力を示してきた。全日本選手権大会で日本一になったシーズンも、関東リーグで得点ランク2位のゴールを記録していた。しかし、名古屋との決勝でメンバーに選ばれず、スタンドで歓喜の瞬間を迎えた。あの時、どんな感情があったのか。渡邉が語った言葉には、あの時代のフウガの紛れもない一つの価値が示されていた。
(取材・文・構成 本田好伸)

選手全員が日本一というベクトルに向かっていた

 トップレベルで戦えるポテンシャルがあっても試合に出られない。そんなチームがフウガだった。深津孝祐がそうだったように、渡邉知晃もまた、フウガの競争の中でもがいた選手の一人だ。

 深津と同じように、1次ラウンドの1試合と決勝ラウンドの準々決勝、バルドラール浦安戦の計2試合しかベンチ入りできなかった。準決勝、決勝は、スタンドで観戦していた。

「浦安戦は、須賀(雄大)さんから『ポイントで使うから』と言われていて、実際に出場したのはフリーキックの場面くらい。経験もなかったし、シュートがあると思われていたのでそこで使われた感じですね」

 渡邉は大学2年でフットサルを始めた。順天堂大学フットサル部GAZILからフウガの前身であるボツワナに移ると、その得点能力は一気に開花していった。全日本選手権大会で優勝したシーズン、関東リーグで得点ランキング2位の14ゴールをマークしたのだ(1位はフウガの早川裕樹)。太見寿人、星翔太といったピヴォがケガがちだったこともあるが、地域リーグでの渡邉は主力としてプレーしていた。

 しかし、ベストメンバーがそろった選手権は、基本的にはメンバー外。金川武司が話していた「日々の練習のバチバチ感」や深津が語った「決勝のピッチに立てない悔しさ」を踏まえると、普通であれば渡邉も、「スタンドで味わう優勝は悔しさもありました」と答えると思った。しかし、そこには予想外の言葉があった。

「試合に出ていないのにスタンドで泣いたんです。喜びしかなかった。あれは初めての経験」

 その感情は、彼自身にとっても意外なものだった。

「正直、選手である以上は、試合に出られなかったり、ピッチに立てない中での優勝には喜びと同時に悔しさがあるはずです。それはクラブであろうが日本代表であろうが同じで、選手である以上は持つべきものだと思っています。僕もこれまで、出られない、使われないといったいろんな経験をしてきましたし、そういう時はやっぱり100パーセント喜べません。喜びと悔しさが半々なんです。でもあの時は違いました」

 ではどうして、心から日本一の歓喜を味わえたのか。渡邉はそれを「ベクトル」と表現した。

「選手全員が日本一というベクトルに向かっていたんだと思います。試合に出ようが出まいが、ベンチにいようがスタンドにいようが、みんなが同じ思いで、すごい結果を成し遂げられたから。本当に不思議な体験でした。でも、それができたのは須賀さんの人心掌握術があってのことかなと。選手であればみんな試合に出たいし、出られなかったら悔しいと思うもの。そういう集団を一つにまとめるのは難しいし、不満を持たない選手なんていないと思う。だから同じ方向を向かせられる能力に長けていたんだと思います」

 須賀監督自身も、「試合に出られない選手へのアプローチが一番大事」と話していたように、ベンチ入りメンバーもそうでない選手も、スタッフも含めたすべての人が目的を共有しないと、真の結果は得られない。当たり前のようでもっとも難しい組織のマネージメントを、あの時のフウガは実現していたのだ。

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フウガが示したのは、スポーツでもっとも大切な価値

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