2019.03.16 Sat

Written by EDGE編集部

Fリーグ

【伝説の証言者】決勝の出場時間はゼロ秒。「あの試合がなければFリーグを目指していないかもしれない」(深津孝祐)

深津は「卒業した先輩をライバル視」した

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 主力の大半が抜けた翌シーズン、深津や早川が中心となっていったのは必然だ。

「僕の中で、全日本選手権は悔しさの方が大きな大会でした。それからある程度は試合に出られましたが、Fリーグに移った選手には負けたくない。そういう気持ちがありました」

 彼が抱いた「先輩への対抗心」は、実は深津にとって当たり前の感情ではなかった。たとえば部活動においては、先輩が卒業すればその分だけ席が空いて、次の世代に出場機会が訪れる。もちろん、上級生も下級生も関係のないメンバー争いはあるだろう。ただ基本的には「待っていれば出番がやってくる」構図が、一般的な部活動にはある。その状況で上級生が「卒業した先輩をライバル視する」ことは、普通はないだろう。

 深津がいるのはもちろんクラブチーム。部活ではない。でも深津は、空いた席に座っていた。

「当時、すごく覚えているのが、『部活なら3年生がいなくなればお前が出られるけど、プロの世界は部活じゃない。だからそんな心意気じゃダメだ』って、須賀(雄大)さんに言われたこと。『たしかに!』って思いました。そういう(プロ)選手になるって。当たり前ですけど、それまで練習も休んでないし、ボールを蹴ることも好きだったけど、今までの部活のような取り組みじゃダメなんだって。そこで気がつきました」

 2011年、フウガを地域チャンピオンズリーグ連覇に導いた深津は、満を持してFリーグの舞台に登った。そして2016年8月、さらなる成長を求めてシーズン途中にスペインへと渡り、2つのクラブで2シーズンプレーした後、2018シーズンに再び浦安に戻ってきた。

 Fリーグデビュー戦、スペイン挑戦前のラストマッチ、2019年3月8日の現役最終戦となった全日本選手権大会準々決勝。奇しくも、いずれの対戦相手も名古屋という巡り合わせだった。

 名古屋との決勝を戦っていた頃、日本一になった瞬間、深津はもちろん「今の自分は想像していなかった」という。それでもあの試合が、明確にプロを意識するきっかけになった。フウガで主力となり、Fリーグに挑戦して、スペインでプロとしてプレーして、引退して、この先は指導者の道に進むという。

 フウガの仲の良さは、時として「学生ノリ」と言われ、部活のような「青春がある」と皮肉めいた言われ方をすることがある。ただ彼らがもし本当に、年功序列で競争の少ない環境で戦っていたとしたら、どうだろう。もし「決勝に深津が主力で出ていたら」、きっと彼の人生もその後のチームも違うものだっただろう。

 日本トップレベルになれるポテンシャルのある選手が出られない。フウガとはそういうチームだった。

Interview & Directed, Key Visual by Yoshinobu HONDA

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【Contents】【伝説の証言者】FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか? 7人が明かす「史上最高の下克上」の真実に迫る

Witness 1 フウガ・イズムの生みの親と伝道師。「奇跡のチームはこうして生まれた」(須賀雄大監督&金川武司)
Witness 2  決勝の出場時間はゼロ秒。「あの試合がなければFリーグを目指していなかったかもしれない」(深津孝祐)
Witness 3  スタンドで涙を流した男。「出られない悔しさがなかったのはあれが最初で最後だった」(渡邉知晃)
Witness 4 勝ち越し弾、決勝弾を奪った男。「ヒューマンパワーにあふれたフウガが果たした役割」(荒牧太郎)
Witness 5 狂犬と呼ばれいたあの頃。「頭の中の理性と野生が共存していた」(星翔太)
Witness 6 奇跡のチームのその後のストーリー。「ただの通過点」(須賀雄大監督)と「達成感」(金川武司)
Witness 7 10年後の名古屋のキャプテン。「あの大会から、自分を含めた物語が始まった」(星龍太)
Afterword あとがきにかえて。「10年前と10年後の彼らが、“今”を生きる僕たちに教えてくれたもの」

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