2017.08.16 Wed

Written by EDGE編集部

Fリーグ

ずっと報われなかった。だけど諦めなかった。“究極の苦労人”府中・飛騨龍典が10年越しで立ったFリーグのピッチ。

名古屋オーシャンズの練習生に

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 岐阜県の強豪、岐阜工業高校のGKとしてプレーしていた飛騨は、高校3年の夏のインターハイと冬の選手権でともにベスト8という、輝かしい経歴を持っている。ただし、全国大会での試合経験はない。当時、“二番手”だった彼は、「県大会の準決勝で正GKが退場したために、その試合と決勝で先発出場の出番が回ってきた」。今でもチームを影ながら支え続ける、なんとも飛騨らしいエピソードだ。

 その後、愛知県の大学に進学しながらも、1年で中退。社会人カテゴリーでサッカーを続けているときに、中学時代に所属していたジュベントゥーヂ・フットボールクラブとつながりのあった、シーブラジルという岐阜のフットサルチームから誘いがあった。「当時は、身長的にもGKとしての限界を感じていたし、このまま辞めてしまおうかと悩んでいた」。シーブラジルでフットサルを始めたものの、飛騨には迷いがあった。そんなとき、Fリーグがまだ始まっていない、今では“フットサルの夜明け”と呼ばれる2006年5月、転機が訪れる。

 日本初のプロクラブ、大洋薬品バンフの誕生だ。「すごい選手が集まって、そうそうたる顔ぶれの彼らと東海リーグで対戦することになった。そんな選手たちを一目見ようと、会場はお客さんでいっぱいになった」。出場機会を得た飛騨は、「フットサルでこんなに多くの人が見に来るんだ」と、驚きを覚えた。華やかな舞台は魅力的に映った。「サッカーではもう先がないし……」。21歳の飛騨は、本格的に競技を始めることを決めた。

 飛騨はその後、数々のFリーガーが輩出した東海の名クラブ・愛知ニューウェーブスや、実はFリーグ2年目の名古屋オーシャンズで、1年間だけ練習生としてトップチームに在籍したことがある。

「今は府中のGKコーチのマルコス(山田マルコス勇慈)と定永さん(久男/シュライカー大阪GKコーチ)がいたときで、定永さんが日本代表で不在になり、マルコスがケガをしたことでGKのセレクションがあって、年齢的にも若かった僕が選ばれた」。

 プロ契約ではなく、あくまでも練習生としての契約。試合出場はなかったが、森岡薫や完山徹一、小山剛史、前田喜史、上澤貴憲など、名だたるメンバーと一緒に日々の練習を積んだ経験は大きい。

<次ページ>一度は諦めた舞台に、28歳で再チャレンジ

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