2017.03.19 Sun

Written by EDGE編集部

Fリーグ

“日本の闘将”が残したラストメッセージ。命を削って戦い抜いた小宮山友祐が託す熱き思いとは

写真:本田好伸

小宮山友祐、37歳。バルドラール浦安に10年所属した“日本の闘将”の、17年に及ぶ競技生活が幕を閉じた。日本フットサルの最前線で突っ走ってきた男は、今シーズン、一つもタイトル争いに絡むことなく、全日本フットサル選手権の準々決勝がラストマッチとなった。それでもこのベテランフィクソは、常に全力で、いつでも味方を鼓舞し続け、チームの勝利のためにプレーしてきた。戦いを終えた彼は、静かに、でも熱く、選手として最後の言葉を残した。小宮山が、次の世代の選手たちに託したい思いとは何なのか──。
(取材・文 本田好伸)

日本で一番“ヘタクソ”で、魅せられる選手

 残り数秒、カウンターで自ら仕掛け、ラストパスを送る。しかし、そのプレーはゴールにつながらない。試合終了の瞬間、相手DFと交錯して倒れこんだ小宮山友祐は、その場にうつ伏せになったまま動かなかった。

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「単純に、ファウルでしょって。FKでしょって。なんだ、ないのか。もう終わりなのかって」

 小宮山の最後の突破に立ちふさがったのは鈴村拓也。奇しくも、今シーズン限りでの引退を表明した、長きにわたって同じフィクソとして切磋琢磨してきた“闘将”の一人だった。全日本フットサル選手権大会準々決勝、バルドラール浦安はデウソン神戸を相手に背負ったビハインドを必死に縮めたが、猛追及ばず。3-4で敗れ、大会から姿を消した。小宮山のラストマッチ。あっけない幕切れのようだったが、最後のプレーはどんな試合でも変わらない熱量で戦い続けた、小宮山らしい姿でもあった。

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 フットサルと出会った当時20歳の小宮山は、紛れもなくフットサル界を代表する選手となった。日本代表としてAFCフットサル選手権に6回出場し、ワールドカップには3回出場。2012年のタイW杯では木暮賢一郎と共に主将を務めた。Fリーグ発足初年度から浦安でプレーし、長らくキャプテンマークを巻いてきた。

 現代フットサルでは稀有な存在となった、フィクソらしいフィクソ。守備に絶大なる安定感があり、相手のピヴォの自由を奪い、後方から味方を鼓舞し続ける闘将。感情をピッチに持ち込み、思いのままに全身全霊でプレーする。もし、この世に「闘将選手権」なるものがあったら、小宮山は常に優勝争いをしたに違いない。拳を握りしめて吠えるとき、ピッチで戦う仲間たちは、呼応するように力を発揮した。

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 小宮山は常々、「自分はうまい選手じゃない」と語ってきた。屈強な相手をねじ伏せ、浦安のパス回しに平然と参加し、左右の足で鋭いパスを繰り出し、果敢な飛び出しでゴールを奪うそのプレーはれっきとした“うまい選手”だが、彼自身はいつまでたっても、“ヘタクソな選手”として愚直だった。ヘタだからこそやれることは一つ。チームの勝利のために力を出し切ること。それだけだった。名古屋9連覇の立役者、北原亘でもなく、現日本代表のフィクソを任される滝田学や皆本晃でもない。小宮山は守備者として傑出していた。

「何もなかった男だと思う。こうやって自分が引退するときに多くの人に応援してもらえる選手になれたことは、本当に自分だけの力だけではなかった。チームメイト、ファン、サポーターの方々の力があったからこそ、こんな歳まで素晴らしい舞台でプレーできた。本当に感謝しかない。本当に夢みたいな選手生活だった」

 小宮山は間違いなく、魅せられる選手だった。そして魅せる選手として、Fリーガーとして、すべきことを理解していた。いや、その答えを探しながら、ずっと自問自答しながら、走り続けてきた。問うてきたのは、「自分にはお金を払う価値があるか」という、その1点のみだった。

<次ページ>命を削って勝負してきた小宮山の思い

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